《The Bell Cricket(鈴虫)》 《The gilt lines were very good,》・・・・but the sheen of the black ink and the contrast with the paper were quite marvelous. I shall not attempt todescribe the spindle, the cover, and the box, save to say that they were all of superb workmanship. On a new aloeswood stand with flared legs, it occupied a central place beside the holy trinity. The chapel thus appointed, the officiants took their places and the procession assembled. Genji looked in upon the west antechamber, where the princess was in temporary residence. It seemed rather small, now crowded with some fifty or sixty elaborately dressed women, and rather warm as well. Indeed some of the little girls had been pushed out to the north veranda. The censers were being tended so assiduously that the room was dark with their smoke. "An incense is sometimes more effective," said Genji, thinking that these giddy novices needed advice, "when one can scarcely tell where it is coming from. This is like a smoldering Fuji.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「鈴虫(すずむし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。花崎貞(花崎采炎)『自叙伝』昭和55年跋刊 漢詩文/中国文学翻訳家・花崎貞(花崎采)自伝 花崎皋平の母。
「鈴虫(すずむし)」の巻は、アメリカでは1個所、国立民族学博物館の貴重書として所蔵されております。安芸国大野家石高文書 大野宇内・大野孫兵衛・大野久馬・大野嘉内・大野槌三郎。
日本でも「国立民族学博物館所蔵『源氏物語』鈴虫として画像(カラー写真)が出版されており、出品原本と照合することができます。大野朝臣東人之圖幅 多賀城を築城した人物。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。伊香保温泉名所一覧。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【大正時代発行】『絵入 好色一代男 第1-8巻完結セット』井原西鶴 愛鶴書院 大正15年発行 浮世草子。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。僧若海之上書 江戸明治期 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 古書和書古文書古本 NS。現在の今上天皇と系譜がつながっている。紀州根来寺圓明校正 世親菩薩造『重刊阿毘達磨倶舍論本頌』中野宗左衛門刊 印記「源徳寺蔵書」江戸時代和本 仏教書 仏書。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。古文書 書簡 五島耕畝 金井紫雲宛て 封筒付き 歴史資料 茨城県 日立市 中里村 日本画家(レターパックライト発送)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。f240502025〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東海堂左り不二 静岡県富士市依田橋 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。大島貞益編訳『改正再刻 英史』(5冊=巻1~5)明治7年序 文部省刊 明治時代和本 イギリス史 英国史 西洋史。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。大石千引著 小山田与清序『野乃舎随筆』文政3年 耕文堂/伊勢屋忠左衛門刊 江戸時代和本 加藤千蔭に師事した国学者/歌人の随筆集。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。即決アンティーク、江戸期和本1600年代?(清代)中国本唐本『暦学駢枝 巻2、巻3、巻4』梅文鼎、天文暦学書、日食、月食、超希少本。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。淫水亭 恋川笑山 柳水亭種清 浅草十二景 艶本 春画 木版画 製本ミス?。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。@中華民国57年 晩明史籍考 初版 検索:漢文 古籍 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 内府 掃葉山房。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。東里山人作 歌川英泉画『出謗題無智哉論 三篇』文政8年岩戸屋喜三郎版 江戸時代和本 浮世絵・錦絵。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。1918年 支那 漫遊記 租界 生写真 革命党 満洲 総督府 張作霖 古建築 軍閥 督軍 中華民国大総統 段祺瑞 馮国璋 曹汝林 肅親王 梁啓超 大清国。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。杉山貞治編 吉川長昌校『算法発蒙集』(全5巻5冊揃)寛文10年序刊 江戸時代和本 和算書 数学 算数。また、各巻ごとの書かれた年については不明。平林縫治・仲古谷津友吉・小野利世編 浪速短冊研究会同人跋『和歌の浦』限定300部 大正15年刊 古短冊集 宸翰から三遊亭圓朝まで。従って、応永五年とは、書き始めの年である。[絵本] 鹿児島戦争日記 第六号・第十号 辻岡屋文助★ko2.36。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。百人一首女教訓 女教大全姫文庫 辞書 作法 教養 絵入 安永 下河辺拾水画 木版画 浮世絵 教育 江戸古文書 美人画 着物。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。f240502008〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都あすか山 東京都北区王子 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 寛文十二 富家馬之 鞍 馬刀 古文書。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。学問ノススメ 九編。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。一品経和歌懐紙・2冊/佐々木信綱/昭和14年/ここに印行せる一品經和歌懷紙は二首懐紙にして一首は法華經の各品を分ち一首は述懐を題とせり。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。年代不明 東海道中膝栗毛三編序。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。百人一首。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。林肥後守忠英・小笠原相模守長貴・堀大和守親親・増山河内守正寧連名書状 大嶋雲四郎宛。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。和本 漢籍 『文選正文』山子點 12冊 浪華書房 四書堂梓 古典籍 和書 「梁 昭明太子 蕭統撰」 中国古典文学 万延庚申 三刻。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。s◆** 江戸期 重鐫 日本歳時記 春夏秋冬 4冊 揃い 文政七年 和本 古書 当時物 時代物 /N54。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。『復古論 活版・売買禁』幕末-明治初期刊 江戸時代和本(明治時代和本)勤王論 尊王攘夷 王政復古論 江戸幕府批判。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。『新刃名鍛冶番附』安永7年 北奥甚助蔵版 元袋付 刀剣番付 日本刀資料 江戸時代和本 畳物一舗。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。『文政再版 続江戸往来』森屋治兵衛刊 江戸時代和本 往来物 江戸案内書 絵入本。
出品した「源氏物語」は鈴虫(鈴虫)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。観世清廉校訂「観世流謡本」33冊セット 明治時代和本 シテ方観世流能楽師 23世観世宗家。「鈴虫」の巻名は、八月十五日の夜、源氏の君と女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)が贈答した和歌「おほかたの下記をぼうしと知りにしをふりすてがたき鈴虫の声」による。長谷川伸旧蔵書 江風散士『正調安来節の踊り方と唄ひ方』大正10年 奥村久太郎(島根県松江市)民謡 俗謡。夏、蓮の花の盛りの頃に女三のが持つ持仏の開眼供養が行われた。超逸品珍品江戸期鎮魂帰神法文書神降ろし梓弓審神者神道英霊の声本田親徳陰陽道神道霊学オカルト。御帳台を仮の仏堂としては質素なものだった。顕意『一乗海義要決 二道血脈図論 二本合冊』文政2年刊 江戸時代和本 浄土宗 仏教書 仏書 菩薩蔵頓教一乗海義要決。父・朱雀院(前朱雀天皇)や今上天皇からの心寄せもある。横山蘭蝶(津田蘭蝶)『断香集』文政9年序 絳雪吟窩蔵版 漢詩集 江戸時代和本 金沢の女性漢詩人 石川県金沢市郷土資料 横山政孝 横山致堂。八月十五日の夜、源氏の君は女三の宮の御殿(三条宮)を訪れ、鈴虫の音を賞美しながら女三の宮の和歌に唱和し琴も弾いた。ハ0/教化資料集 第一編 教化団体連合会 大正14年。そこへ蛍兵部卿や夕霧が訪れ管弦による演奏の宴になった。■『黑手組戸澤助六』春錦亭柳櫻口演。酒井昇造速記。明治23年初版。大阪心齋橋駸々堂發行。ボール表紙本。歌舞伎演目とは異質のStory。。おりから冷泉院(前冷泉天皇)のお召しがあり、一同は参上し詩歌管弦の宴に興じた。N/殉職福岡巡査部長彰功録 江川警察署編纂 昭和15年 非売品 /愛知県名古屋市事件警察官/戦前古本古書。冷泉院(前冷泉天皇)は源氏の君の訪問を喜び迎えた。☆E0014和本江戸期加治流兵法写本「工夫双紙」巻1~6の6冊/加治胤禎(加治紫山)/古書古文書/手書き。冷泉院(前冷泉天皇)が私人として源氏の君と親しく対面することこそが退位閑居の目的でもあったからだ。東洋閨範烈女伝。
自筆上部の「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。日本帝国 郵便規則罰則及貯金預規則 明治9年。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。f24022002〇錦絵 彩色木版画 東京明細図会 歌川広重 駿河町三井 富士山 三井銀行 三越 丸鉄板 明治初期〇和本古書古文書。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」鈴虫(すずむし)の巻》
「鈴虫」の巻は英文で「The Bell Cricket」と表記されます。f240502006〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都両ごく 東京都墨田区両国 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
《原本上部に「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の
東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)
という漢詩の落款が押捺。岩垣松苗・菊池純(菊池三渓)編『国史略』(全十五冊揃)明治11-13年 藤井孫兵衛刊明治時代和本 日本史。鈴虫の原文に引用されている。寛政年中異國物語 漂民御覧之記 侍醫法眼/桂川甫周國瑞誌。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。貝原好古『和漢事始』(8冊=「和事始」五巻附録一巻+「漢事始」全六巻)元禄10年序刊 江戸時代和本 日本・中国辞典 青山花茂本店旧蔵書。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。和本『韻府古篆彙選 5冊揃』 西陵陳策嘉謀父纂 博文館 明治36 落款。
自筆上部の「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)という漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。根岸武香蒐集『古票吾志記』(全5冊揃)昭和6年序 日本燐枝錦集会刊 明治時代の復元燐票約2000枚貼込 マッチラベル。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。諸病秘書 写本 医学 蘭学 オランダ 古書和本古本和本 江戸期 NC。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。!!貴重 明治古書●「徳川幕府刑事圖譜」(色刷版画)●各頁に画題(上部和文・下部筆記体英文)●藤田新太郎:編・画●神戸直吉:刊●。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。奥田頼杖著 平野橘翁編『心学道の話』(9冊=四編~六編) 江戸時代和本 石門心学書 印記「伊予今治城下 報命舎蔵書 広瀬清左衛門」。
《「源氏物語」鈴虫(すずむし)の巻》
《原本上部に「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に
煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)「白氏文集」の漢詩の落款が押捺・鈴虫の原文に引用されている。f24050717〇貫堂存稿 上下2冊揃 岩村八作編 帙入 大正4年 岩村道俊銅像建設記念に重刻されたもの〇和本古書古文書。》
《いとなむ》・・・・めつ(珍)らかなりける。蛙屋鷺岱『四季季寄いろは分 ぬくめ種 全』嘉永2年 菱屋弥兵衛刊 江戸時代和本 俳諧季語集 俳句 俳書。
ちく(軸)、へうし(表紙)、はこ(箱)のさまなと、言へは更なりかし。中華民国初期 北京 看板 幌子 招牌 廣告牌 検索:善本 藝姐 支那 茶館 戯院 酒楼 武館 當舖 青楼 銭荘 銀号 書館 煙館 薬舖 賭館 老照片作坊。
これは、ことに沈の花足の机にすゑて、佛の御おなし帳臺のうへに、
かさられ給へり。214-2辰巳ヨシヒロ「和本てんぐ堂主人」肉筆カラー口絵付、和本シリーズ①紅書房/ドンコミック未読本、限定版26/50部。堂、かさりはてゝ、講師、まうのほり、
行道の人々まゐり集ひ給へは、院もあなたに出て給ふとて、
宮のおはします西の廂に、のそき給へれは、狹き心地するかりの御しつらひに、
所せく暑けなるまて、ことことしくさうそきたる女房、
五六十人はかり集ひたり。古文書 伝法許可印信 三通 文政7年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然古写経写本西院流印信案密印NP。北の廂の簀の子まて、わらはへなとはさまよふ。嘉永五年八月尾花沢紫家青隣寺旅中寫本 新庄藩前侍医佐々玄達老人。
ひより(火取)ともあまたして、けふたきまて・・・・《あふきち(散)らせは》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。焦竑輯 王元貞校 小出永安点『老子翼』(全6巻6冊揃)寛延4年 勝村治右衛門板 江戸時代和本 唐本漢籍和刻本 中国古典籍 老。
《「源氏物語」鈴虫の巻》
《「鈴虫の巻」国立民族学博物館に1部現存の原本と同じ「鈴虫」の貴重書
《夏、女三の宮(朱雀天皇の皇女)三条殿の邸で持仏開眼供養を盛大に開催》
《源氏の君がこの春ごろから、お心をこめてせっせとお書きになっただけのことはあって、
ほんの片端をごらんになる方々も、目を奪われて驚嘆なさる。古文書 地鎮法 仏教 密教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然神道 不動明王 古書和書古本写本 NR。
罫(け)にひいた金泥(こんでい)の線よりも、墨の色が紙面に輝いて
見えるさまなど、まことに・・・・比類のないものであった。蝦夷志■享保5年序■和本■写本。
また、軸や表紙、経箱の立派な様子もいまさら申すまでもないことである。酒造秘書 寫本 奧書/寛永元年甲子六月十五日。
この御持経は、特に沈(じん)で作られた華足(けそく)の机にのせて、
御本尊の仏とごいっしょの御帳台の上に飾っておありになる。古屋芳雄『民族淘汰論』岸田劉生・武者小路実篤らと交友した作家 国立公衆衛生院長をつとめた公衆衛生学者。
《二・源氏の君、女三の宮の住む三条院で歌を詠み交わす》
入道の宮(朱雀天皇の皇女・女三の宮)の御持仏堂の飾り付けが
すっかりできあがって、講師(こうじ)が参入し、行道(ぎようどう)の人々も
参集なさったので、院(源氏の君)もそちらへお出ましになろうとして、
女宮がいらっしゃる西の廂(ひさし)をのぞいてごらんになると、いかにも手狭な
仮のお居間に、あたりいっぱい暑苦しいくらいに仰々しく着飾った女房が、
五、六十人ばかり集まっている。0033921 続字彙補 7冊(子、丑、末、申、酉、辰、戌) 清・呉任臣。
入りきれない女(めの)童(わらわ)などが、北廂(きたびさし)の
簀子(すのこ)のほうまであふれ出して、あちこちしている。橋本雅邦画『雅邦帖』明治42年 光華堂刊 彩色木版画全30枚揃。
火取香炉(ひとりこうろ)をたくさん持ち出して、けぶたいくらいに・・・・《あおぎたてている》
備考・女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、柏木との子を出産した後、出家を決意するが源氏の君に三条院に仏堂を作ることで源氏の君の近くに住むことになる。紙看板 定宿びぜんや藤五郎。女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、御持仏(守本尊)の数々をお造りになってその開眼のご供養をされる。「俳諧名物鑑 : 畫賛 [反故齋果然編] ; 山田清作編輯 米山堂 1930.11-1932.1 稀書複製會, 第7期第1, 12, 15回 雪 , 月 , 華 会報付。父朱雀院(前朱雀天皇)や今上天皇から盛大な贈物が贈られた。【★】「講談全集 全12巻」非売品 昭和3年発行 *年代物のため外箱など写真の様に傷みはあります。。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。破提宇子 (はでうす) 木活字本 ハビアン著 迂菴老人跋。
《The Bell Cricket(鈴虫)》
《The gilt lines were very good,》・・・・but the sheen of the
black ink and the contrast with the paper were quite marvelous.
I shall not attempt todescribe the spindle, the cover, and the box,
save to say that they were all of superb workmanship.
On a new aloeswood stand with flared legs,
it occupied a central place beside the holy trinity.
The chapel thus appointed, the officiants took their
places and the procession assembled.
Genji looked in upon the west antechamber,
where the princess was in temporary residence.
It seemed rather small, now crowded with some
fifty or sixty elaborately dressed women, and rather warm as well.
Indeed some of the little girls had been pushed out to the north veranda.
The censers were being tended so assiduously
that the room was dark with their smoke.
"An incense is sometimes more effective,"
said Genji, thinking that these giddy novices needed advice,
"when one can scarcely tell where it is coming from.
This is like a smoldering Fuji.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《鈴虫》
卷安置在一香木制、足上雕花的几上,
装在供佛像的寝台内。時局資料 小型パラピンポスター。佛堂的布置装完之后,
来了。1941年 印癖 原鈐21顆 印刷9顆 印譜 非売品 検索:金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 落款印 支那 唐本漢籍。香的人也都来了。サナエ550 江戸期古文書 小笠原流仕方百カ条覚事 79p 剣術 墨書 本物保証 越前府中旧家蔵うぶだし。源氏也出席法会,
他走三公主所在的西,向里面望,但居内甚,
暑气迫人,有五六十个的侍女群集其中。■希少 美品 江戸後期 天保13年(1842年)!佐藤慎斎書 『永寿百人一首浜真砂』 絵師:鍬形蕙斎画 重田一九頭書 全96ページ。那些女童竟出在北的廊下。鄭和航路考 検索:地図水路図 航海図 鄭成功 明朝 武備志 茅元儀 宝船 武将 航海者 三寶太監 下西洋 永楽 宣徳 西洋番国志 華僑 明時代 明史。
各安置着多熏炉,香烟四溢,弥漫空中。銃創瑣言 大槻俊斎 訳 じゅうそうさげん 軍陣外科書 セリウス モスト。
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」鈴虫の巻の末尾(原本番号16-A)の押印。希少 天保九年 倭漢偉人番付表 江戸期木版画 レターパックライト可 0407U7G。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。1907年 近松世話浄瑠璃詳解 検索:時代物 世話物 歌舞伎 平安堂 巣林子 不移山人 人形劇流派 義太夫節 河東節 一中節 常磐津節 富本節清元節。冬姫は内大臣・通誠の養女。西村茂樹編 西阪成一解 白石千別閲 南摩綱紀序『新撰百人一首』明治16年 中外堂刊 明治時代和本 彩色木版画譜「小倉百人一首」改訂版。
冬姫は通称。十日間世界一周 石井研堂 小林清親画。正式な名は伊達貞子。馬場信武『韻鏡諸鈔大成』(7冊セット=巻2~巻7)宝永2年 小倉八兵衛他刊 江戸時代和本 音韻論。左端の写真は「鈴虫の巻」末尾の拡大写真。弓矢と習射/桑村常之助/村尾圭介・若槻礼次郎・鳩山一郎序/昭和7年/廣く文献を聚め不素の薀蓄を傾け之を洗練せる筆によって纏められたもの。
左上は、「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の印。【まとめ】梧坡教諭 上 + 梧窓漫筆 三編/畏天 知命 畏聖 三録/後編 9冊セット 著:晴湖荒井尭民/大田錦城 天保11年(1840年)【ta01g】。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。即決 1689(元禄2)年『天文図解 巻3』運気論、中国星座、星図、太陽月 二十八宿、七十二候、日蝕アンティーク、天文暦学書、江戸期和本。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。『三帖和讃並正信偈』浄土和讃 高僧和讃 正信念佛偈 正像末和讃 4帖 その他2冊 レトロ 古本 版摺 親鸞 浄土真宗 嘉永元年。)
「近衛基熙の肖像」
1番上の写真は、2000円札に描かれた国宝「源氏物語」鈴虫
2000年に発行された二千円札の裏には、この国宝「源氏物語絵巻・鈴虫」の第一段
の詞書と、第二段の絵が印刷されています。■『海内無雙/東京文證大全(上下巻揃)』青木輔清著述。青木理中浄書。明治27年訂正第3版。須原屋枩成堂發兌。明治期の文章規範・模範文例。。左が冷泉院(前冷泉天皇)右は源氏の君
2番目の写真は、2000円札に描かれた国宝「源氏物語」鈴虫(拡大)
3番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。h∞ 明治期 農業三事 上下 2冊揃い 津田仙・著 明治7年 和本 古書 絵入 /A06。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
4番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
「源氏物語」「鈴虫の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1段目右の写真は、国立民族学博物館所蔵「源氏物語」のうち「鈴虫の巻」(日本版)の表紙
1段目の左の2枚の写真は「鈴虫の巻」原本の1(上段)、及び原本の2(下段)・国立民族学博物館所蔵
上から2段目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3段目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)の漢詩文の落款が押捺されている。江戸時代 寛保3年 大阿闍梨堅者法印 「澄海示之」/書画 古文書 仏教 法味 理趣経。この意味は、柏木は決して良い環境にいるわけではないという源氏の君の心境をあらわしている。『開花柳樽』(3冊)明治11年文明開化を描いた川柳絵本 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 草双紙・絵草紙 月岡芳年 歌川芳宗 長谷川貞信。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。木版画年賀状全100枚揃『郵便局の名所スタンプ意匠絵葉書交換会』限定100部 昭和10年二葉会 宮尾しげを 磯ヶ谷紫紅 桝岡良 吉田初三郎。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために漢詩の「白氏文集」披露したものです。@1926年 絵にしたる歴史の裏 田村孝之介 俳諧 俳文 浮世絵 漫画家 洋画家 大西孝之助 信濃橋洋画所 風景 裸婦 スケッチの技法 永田禎彌。茶会の際に落款に記された由来と内容を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。写本『勧殖桑養蚕書外題・豊国書』文政8年 樋口雄貞誌(信濃國松島)江戸時代写本 長野県伊那地方養蚕業。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。新田御一族船田一右衛門宛書状集 新田義貞 船田義昌。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。●郷土資料●『改正絵入 南都名所記』全1冊 嘉永5年刊 絵図屋庄八 奈良●古書 和本 江戸時代。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。串田孫一 自筆書簡5通・葉書4枚セット(真筆保証品)結城信一宛 昭和43年-55年。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。舎密開宗 内編。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。長谷川伸旧蔵書 山田俊蔵・大角豊次郎著『近世事情』(7冊セット=初編-三篇)明治7年刊 明治時代和本 幕末-明治初期の内政・外交関係など。撮影後、展示のために再表装をしております。栗山碧嶺編『周甲遺念霧海軒書画譜』大正15年刊 橋本関雪 小堀鞆音 野田九浦 菊地契月 横山大観 鏑木清方 西沢笛畝ら 還暦記念書画帖。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。清代各地 将軍 都統 大臣 年表 検索:初版 盛京 奉天府 清朝 清時代 道光 嘉慶 乾隆 同治 順治 宣統 光緒 軍機処 江南製造局 康煕 咸豊 八旗。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。『天台円宗四教五時西谷名目』(全2冊揃)江戸初期刊 天台宗 江戸時代和本 仏教書 仏書。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 巻物 一張弓 宇相是也 正法山紫賜僧開善前住 古文書 書状。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。まくり 松村呉春。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。今川了俊愚息仲秋制詞之條々 商売往来の原作者流水軒観中筆。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。送料込み、1859年版。江戸時代の和本「阿蘭陀国条約並税則・日蘭修好通商条約」全1巻、金幸堂、綴じほつれ有、安政五カ国条約、不平等条約。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。@1941年 支那 百話 検索: 汪精衛 蒋介石 関東軍 陸軍 国民党 憲兵 租界 生写真 革命党 孔祥熈 GHQ 満洲 総督府 軍備 軍閥 禁書 張学良 風俗。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。宇田川文海『春宵閑話新街夜作楽』明治17年 福島幾太郎刊(大阪府)明治時代和本(和装活字本)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。古文書 書簡 「徳川綱條 岡崎平右ヱ門 伊藤玄蕃宛て」 手紙 水戸藩 第三代藩主 歴史資料 水戸徳川家 茨城 水戸。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。浅草吉原ほか地図多数・解説入 江戸の名所案内「再校江戸砂子」明和9年 菊岡沾涼 7冊☆千住湯島谷中四谷渋谷など和本江戸時代資料 B245yn。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。0028586 俳諧 饒舌録 上下 元木阿弥・著 江都書林・北島長四郎 文化13年。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。g∞ 明治期 華山翁蘭竹画譜 乾・坤 2冊揃 明治13年 編・貫輪吉五郎 /E02。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。写真帖 日中戦争 国民党兵 重慶轟炸 蒋介石 黄埔軍校 中華民国 戦犯 東條英機 関東軍 総督府 共産党 土匪 抗日 新四軍 八路軍 軍服 生写真。母は後水尾天皇皇女女二宮。古文書 横山大観 「岡倉天心偉績顕彰会講演稿」 超珍品 楷書 共立記念講堂 茨城県 五浦 昭和18年 歴史資料 日本画 原稿。実母は近衛家女房(瑤林院)。支那書画名家詳伝 全13冊 セット 自上古至明人 清人 嵩山堂発行 中国書 中文書。幼名は多治丸。三井銀行五十年史。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。明治34年発行 南華眞經巻第六~十 郭象子玄註 陸徳明音義 有井範平 訓點 瀧錬太郎 校 中川明善堂。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。伊勢年季奉公請状之事。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。f24042105〇続瘍科秘録 全5冊 本間玄調 彩色木版画20丁以上 全巻表紙なし 安政6年〇和本古書古文書。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【真作】「劇場訓蒙図絵」3冊揃 式亭三馬(著) 勝川春英(画) 歌川豊国(画) 和本 古書 和綴じ 木版 y2502。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。北堀江大川水屋仲/文政11年/1828年。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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